「み、美希」 「? なに、律子?」  心臓が破裂しそうだった。恐怖と期待で前が見えない。指がカタカタと震える。  大好きな美希の顔も、よく分からなくなるほど私は緊張していた。 「そ、その、ね……」  自分でも馬鹿なことだとは思うけど、パソコンで台本までかっちり書いて臨んだはずなのに。  段取りが総て頭から吹っ飛んだ。やぶれかぶれになって、私は叫んだ。  ポケットから小さな箱を取り出して、蓋を開けて、……中に指輪が入っていることを見せて。 「わ、私と、け、け、け、――結婚して!」  言ってしまった。  その瞬間、まるで走馬燈みたいに思い出が駆けめぐる。晴れて見習いプロデューサーになり、 期待に胸を膨らませていた時。初プロデュースで美希と出逢った時。美希がやる気を出し、ロン グの金髪から一転、ショートの茶髪になった時。引退コンサート時に、美希から告白された時。 正式に付き合いだして、その仲を深めていった時――  私は目を閉じてじっと待った。はたして美希はどんな顔をしているのだろうか。  けれど、返事は思っていたよりもずっと早くやってきた。 「うん、いいよー」 「……へ?」  そんなわけで。  私と美希は結婚することになった。 * * *  とんとん拍子に話は進んで。 “二人が納得しているならそれでいい”と互いの両親は言うし、 “お似合いですよ、二人とも”と事務所のみんなは言うし、 “これからの活動はゆっくり考えていこう”と社長も言ってくれるし。  世界はこんなに単純に回っていたのだろうか、と思い知らされる次第である。  内々のうちに挙式も終えて。  そして―― * * * 「お仕事お疲れ様なの、律子。  ミキにする? お風呂でミキにする? それとも、ベ・ッ・ド?」 「……全部美希じゃない」  仕事から家に帰ってきた私を出迎えたのは、エプロン姿の美希だった。  妻である美希と同居をはじめて二週間目。美希はしばらく活動を休止しているが、プロデュー サーの私は765プロで仕事を手伝っている。  業務を終えて家に帰ってくると、毎日がこんな感じである。  ……なんというか、色々と体に悪い。 「ぶー、律子、ノリが悪いの」 「そういう問題じゃないわよ、もう。普通にお風呂に入りたいわ」  「はーい。ちょうど沸いてるよ」  美希が両手を差し出してきたので、鞄を渡す。  キッチンに戻るのだろうか、美希はくるりと踵を返して、 「ぶっ」  吹き出した。  美希の後ろ姿は、お尻と背中が丸見えで、下着をつけておらず――つまるところ、着衣はエプロ ン一枚だけなのだった。 「み、美希、その格好はいったい……っ!?」 「え? あ、これ? 新婚ホヤホヤの旦那さんを誘惑するにはこれしかない、って小鳥が言ってた の。流行のファッションなんだって」 「…………」  あの鳥め余計なことを。  どう? と美希はくるりと一回転し、フリルつきのエプロンがふわふわ揺れる。魅惑的な曲線を描 く臀部に、ついつい目がいってしまって―― 「お、お風呂いくわっ!」  靴を脱いで、あわてて洗面所に避難した。 * * * 「……はぁ」  慌てていたせいで、着替えも持たずにスーツのまま脱衣所に来てしまった。  しかし、このドアを開けてリビングに戻る勇気はない。  仕方なしに私はそのまま服を脱いで風呂場に入った。  湯船に入って深く息をつく。  肩の力を抜いて、お湯に身をゆだねる。  疲れているときでも、私は熱いお湯が好きだ。もう何ヶ月も付き合っているうちに美希も覚えてし まったのだろう、私が一番好ましい温度に、お湯が張られていた。 「美希……」  私は解いた髪をいじりながら、美希のことを想う。  同棲し始めたころはとんでもなく味が崩壊した料理を作り、地獄を見たものだ。家事も炊事もほと んどが分からず、本当に彼女は世間知らずの子だった。  しかし、私に迷惑をかけたくないと思ったのだろう、勉強に勉強を重ね、一月もすれば家事も炊事 も完璧になっていた。  健気な子だ。  美人だし、優しいし、なによりも私を気遣ってくれる。  非の打ち所のない。  こんなお嫁さんをもらった私は、世界一の幸せ者だと言っても過言ではないだろう。  しかし―― 「……うーん」  思わず腕を組んでうなってしまう。常に苛まれる問題をどうすればいいか――  体も温まってきた。湯船からでて、体を洗うことにする。  洗面器にお湯をためて、スポンジを手に取ったところで、 「お背中お流しいたします〜」  ドアが開かれて、一糸もまとわぬ姿で美希が入ってきた。 「み、み、美希っ!?」  驚く私を気にせず、美希はにこにこ笑いながら、当たり前のようにすぐ後ろにしゃがみ込む。 「はい、スポンジ貸して?」 「えっと、あの、その……」  美希の顔がまともに見られない。まずい。これは。 「むー、今更恥ずかしがることないでしょ? ミキの裸、何度も見てるんだし」 「それは、そう、だけど……」  肩の上から手が伸びて、私の持っていたスポンジが奪い取られる。 「洗うよ〜」  ボディソープをたっぷりとつけ、泡立ててから、美希が私の肌に触れる。  背中を優しく、撫でるように洗われる。とてもくすぐったい。 「律子の背中、きれいだね」 「……そ、そう?」 「うん。はい、腕、洗うから貸して」  美希が腕を伸ばして、私の右腕をとる。  ……彼女は手を伸ばして私を洗っているため、体が私の背中に密着している。  その、柔らかさ。背中越しでも手に取るように分かった。  石鹸のにおいとともに、美希から香る柑橘系の香りが鼻をくすぐる。  先ほどの裸エプロンの光景が、振り払おうとしても脳裏に蘇る。  ――あぁ。ダメに、なってしまいそうだ。 「はい、終わったよ。前のほう洗うから、こっちを――」  いつの間にか後ろは総て洗い終わっていたらしい。  私は、ゆっくりと後ろへ振り返り―― 「きゃっ!」  そのまま美希を押し倒した。 「り、律子……?」 「……だめよ。もう、我慢できない」  自分でも信じられないくらい理性が飛んでいた。 「ん、ん……っ!」  床に美希を押しつけて、強引に唇を奪う。  崩れそうなくらい繊細なそこを、唇で噛む。舌で閉じられた歯をこじあけて、中に侵入してゆく。  歯茎をなぞり、舌を絡め、唾液を奪い、唾液を注ぎ、蹂躙した。  体を押しつけて、美希の双丘をまさぐる。もぎ取らんばかりの勢いで、揉みしだき、押しつぶす。  彼女のありとあらゆる場所に舌を這わせる。美希自身の体から果汁が染み出しているかのように、 甘い味がする。  ――そうやって、たっぷり一〇分は美希の体を味わっていた。 「…………あ」  ふと、我に返る。  私に組み敷かれていた美希は、目に涙をためて、息を荒げていた。私が呼吸をさせない勢いでキス をし続けていたのだから当たり前だろう。 「ご、ごめんなさい美希! 大丈夫!?」  慌てて抱き起こす。  美希は私の腕の中で――  嬉しそうに笑った。 「あは、ユーワク成功だね」 「え?」  好き勝手に蹂躙されたというのに、美希は笑顔を浮かべていた。 「だって、最近律子、ミキのこと襲ってくれないんだもん」 「……そ、それは、節度ってものが……」  ――私が美希と上手く顔を合わせられなかった理由は、まさにそこにある。 「だ、だって、私、一応年上だし……もっとこう、リードしていかなくちゃいけないし……なのに、 性欲にかられて毎日美希を押し倒してたりしたら、情けないでしょ……?」  毎日毎日美希が仕掛けてくる色仕掛け。  それに乗って、美希に所構わず襲いかかったら、情けないにもほどがある。  美希は魅力的だ。その体に欲望を抱かない者はいないだろう。  許されるものなら、いつまでも美希と求めあっていたい。  だけど多分美希が愛してくれる秋月律子は、きっとそんなことはしないと思うのだ。  だから―― 「律子」  美希がそっと私の首に手を回して、唇を寄せた。 「そんなの関係ないから……もっと、ミキのこと、愛して欲しい」 「だ、だって……」 「ミキって、そんなに魅力ない?」 「……そんなことあるわけないでしょ」 「よかった。じゃ、しよ?」 「で、でも……」  煮えきらない私に、美希は笑いかける。 「ミキが好きになった律子は、律子その人だよ。律子だったら、何でもいいの。ね?」  美希が私の目をのぞき込む。その澄んだ瞳に吸い込まれそうになる。 「……美希」  そこまで言われて、躊躇う理由はどこにもなかった。  私は、少し冷たい美希の体を包み込んで、深くキスを交わした。 * * * 「……それで、今日だけで何回“した”のかしら」  気づけば深夜の二時になっていた。  お風呂からあがり、夕食をとって少し休憩してから、……そのままベッドインして。  欲望の赴くままに求め続けたら、時間が吹き飛んでいた。 「えへへ〜」  私の腕に顔をすり寄せる美希は、実に幸せそうな顔で笑っている。  お互いに裸のままベッドに横たわっているため、体温と鼓動を直に感じられる。 「ミキ、もっと頑張るね。いっぱい、律子に愛してもらえるように」  美希が私の耳元で囁く。  私は首を振る。 「いらないわ。……私だって、どんなあなたでもいいんだから」 「ホント? じゃ、ムラムラってきたら、事務所でも襲いかかっていいからねっ」 「……さ、さすがにTPOくらいは考えるわよ」  楽しそうに笑う美希に苦笑する。  彼女の茶髪をくしゃくしゃとかき回して、私は言った。 「美希」 「なに?」 「――愛してる」 「うん」  美希は軽く私の頬にキスをして、 「知ってる」  そのまま、二人で抱き合って眠った。  ――愛してる、美希。