ゼクシィ、という雑誌がある。  結婚情報誌というその名の通り、結婚についてのありとあらゆる情報が載っている。式場 選びの基礎からお互いの両親への挨拶の方法まで、様々な特集が毎号組まれている。 「お会計一点で500円でございますー」  そんな雑誌を、私と澪は書店で買っていた。  カウンターの向こうで小銭を受け取る店員は、にこにこ笑いながら接客している。  高校生の背伸びだと思われているのか、私たちの関係に気づいたのか……さすがに後者は ないと思うけど、制服を着たままなのと相まって、異常に恥ずかしい。  100円より細かいのがなかったので、澪が300円、私が200円出した。 「ありがとうございましたー」  二重にされた袋を受け取ると、思わずよろけそうなほどの重みが私の腕にかかった。 「うおぉっ」 「だ、大丈夫か? 私が持つか?」 「いや、だいじょう、ぶっ」  袋が指の肉に食い込んで痛い。女子高生にこの重さは辛すぎる。  それでもこれ以上この場にいることができず、私たちはそそくさと書店を退散した。 「たはー、恥ずかしかった」 「私も……」  書店から離れながら、澪は顔を真っ赤にしていた。彼女ほどじゃないにせよ、私も多分こ んな感じだったんだろう。後で店員に笑われやしないだろうか。  ――こんな歳で。女の子二人で、結婚情報誌を買うなんて。  澪は両手で顔を挟みつつ、私の持つ袋へ目を落とす。 「……私も、持つ」  彼女は左手を伸ばして、持ち手の部分に差し込んだ。本の殺人的な重みが分散されて、そ れだけでだいぶ楽になった。  ありがと、と私は笑いかける。澪も少し恥ずかしそうに笑みを返してくれた。  二人で、夕日に包まれた街を帰ってゆく。枯れ始めた木々がオレンジに照らされて、どこ か寂しかった。  今日は私の家に集まることにした。  居間でゲームをやっている聡に、絶対部屋に入ってくるなよ絶対だからなと念押ししつつ、 澪と一緒に私の部屋に入る。  いつもはやらないくせに狂は何となくそんな気分になって、わざわざキッチンに降りてコー ヒーを煎れて、部屋に持っていったりした。  澪と一緒に、あまり美味しくないコーヒーを一口飲んでから、口を開く。 「……読んでみる?」 「うん」  澪はこくこくと頷いた。  部屋の中央に放置されたビニール袋を開く。15分ほどしか歩いていないのに、既に持ち手の ところはくちゃくちゃになっていた。  私が気合いを入れて袋を逆さにすると、総額500円の、値段に釣り合わない重い本が投げ出 された。  澪はじっと、雑誌を見つめている。なんだか神聖なものを見る目で、自分からは触れようとし ない。  仕方ないので、私は表紙を掴んで中を開いた。当たり前だけど、表紙は呆気ないほど簡単にめ くれた。  豪華絢爛、といった言葉しか浮かばない、きらびやかな式場の写真が紙面を飾っていた。  美味しそうな料理。引き出物。幸せそうに笑う、ウェディングドレスの女の人。笑顔。思い出 の写真とビデオ。和風洋風。映画に出てくるような教会。 「…………」  今号の特集は、“結婚費用、大体いくら?”だった。多数の夫婦にアンケートをとり、結婚式の 費用の平均をとったものだ。  結論として言えば、七桁以上の額をかけるのが当たり前のようだった。中には格安で式を挙げた カップルもいるにはいるが、やはり七桁くらいからが普通らしい。  ……私は、ちらりと横目で澪を見た。  彼女は、私のめくるページを、何も言わずにじっと見ながら。  どこか、哀しそうな顔をしていた。 「澪」 「…………」 「みーお」  二回呼びかけて、ようやく澪ははっと私を見た。 「な、なんだ、律?」  澪は取り繕うように笑ったが、口調には気分の重さがにじみ出ていた。  私は苦笑気味に息を吐いて、 「ちゅーでもしようよ」  しばらくちゅーをした。  結婚情報誌を読みたいだなんて、言い出したのはどっちからだったか。  ……たぶん澪のほうだと思うけど。  きっかけは、この前の文化祭だ。  軽音部の、最後のライブ。  終わりがないと思っていたものにも、必ず終わりがやってくる。  当然、人と人との関係だって。  ひょんなことから恋人として付き合い始めた澪と私だから、そんな当たり前の事実を重く感じた。 お互いそうやって話し合ったわけじゃないけど、澪もきっとそう思っているだろう。  だから――ずっと一緒にいられる手段を欲しがったのだ。  私も、澪も。  誰も文句を言わないような正当な方法を。  今すぐに。  だけど。 「高いなぁ」 「……そうだな」  床に寝っ転がって抱き合いながら、私が言って澪も同意した。私が仰向けで、澪はその上にのしか かっている。  ……七桁。七桁か。唯の馬鹿高いギター四本分だ。  そんな額、出せるはずもない。  私たちは高校生。社会に出ていない。どころか、部活にかまけてバイトだってまともにしていない。  だから。今の私たちが何をしようと、それは子供の背伸びでしかない。一生懸命大人に近づこうと して、ハイヒールを履いて転びそうになっている“女の子”でしかないんだ。  ……馬鹿なことを考えてるなぁ、っていうのは自分でも分かってる。別に結婚式にこだわる必要はな い。一緒にいる方法なんていくらでもあるし、お金なんてかけなくてもいい。  そもそもの話。私たちの場合、解決しなければならない問題は山積みだ。……女同士の恋人付き合い。 世間に歓迎される関係では、きっとない。  なのに今すぐに“証し”を求めてしまうのは――やっぱり私たちが子供だからだろう。  その事実を分かっているのに、それでもまだ澪との繋がりを求めてしまう私も、きっと子供なんだろう。 「ままならないな」 「……うん。ままならない」  私が言って、澪も頷いた。  澪の甘い香りが鼻をくすぐる。  きめ細かい肌とか、凛とした目元とか。彼女の体の温もりとか、肉の柔らかさとか。彼女の奏でる、心 地よい心臓のリズムとか。  ずっと感じていたいと思う。 「澪」 「うん?」 「好きだぞ」 「……知ってる」  困ってしまうと言葉で誤魔化すのも。  きっと、私たちが子供だからなんだろう。 「どうなるのかな、律?」 「何とかなるよ、澪」 「そうかな」 「そうだよ」 「そっか。じゃあ、いいか」 「うん」  はにかむように笑い合って、私たちはちゅーをする。  重い雑誌を持っていた指が、まだ痛かった。