つくしについて ※(88年発行当時のTE君の代筆原文をそのまま掲載しております)                                     業界のフォーカスマン  私はいつも、つくしを愛読しています。 いつものごとき、IW先生に「青年よ、つくしはまだか。」と聞くと「お前のところにはやらないよ。」とふざけたようで楽しい返事が返ってきます。  又、同じようにSW先生に聞くと、「これから〇〇しますよ。」とか「〇〇しているところですよ。」といった返事が帰ってくるのです。  なぜ、そんなやり取りが始まったのかというと、つくしの発行が楽しみになってきて、いつの間にか中毒といおうか、習慣一つになっているのです。  第一作のつくしをよんだ時、こんなにすばらしくまとまった一級の学園月刊誌は初めてだ、中途半端で終わらなければいいな。と思いました。  そんなことを考えつつあっという間に名物の一つにもなっていたら、東京中の人間が知っている訳です。  その中で、思い出深い話と言えば、TV東京が取材に来て、いつもなにげなくやっているシーンが出て来て、その時、 レポーターがつくしのある一ページが読まれているシーンが出て来て、ここで、自分の条件反射的な生活をつきつめられたことをおぼえています。  その時思わずアッと思うようなことにも気付きました。  それは、自分の生活と、つくしと、自分が好きな、さだまさしのピアニッシモの歌詞の一句とピッタリ合ったことに本当におどろいています。  私は、だれでもご存じな人物です。それでもつくしという本のことは、タバコや酒や麻薬のように毎月、かかさずに読んでいます。  これを読んでいると、おこるかもしれないが、KIが少年院へ行った事実も、これで知った訳であります。  その時の心境は、後になってわかったが、KIとは、小学部からのつきあいでMA先生が言う通りでカワイかったといおうか、ガキ大将といおうか、ボス=兄貴のような気がしました。  三年に入り、クラスは別れ、寮の方では古株で私も、同様になって私も同じように沢山の不安をいだいている時に六月のつくしを見た時アッとおどろいていた矢先、トンズラにいたり、結果としては少年院へ行ってしまった訳であります。  そのことをリアルに伝達していた事が頭の中に深く焼きついています。  本当に思っているイメージは、明るくて読みやすい。最近では、ワードプロセッサーやコピーなどでペンをもつかわりに機械が全てをやってのける時代にもかかわらず、手書きをしている事には、本当におどろくばかりです。  今回、このようにして、貴重な二頁を借りて書かせていただけることは、本当にうれしいと思います。  実をいうと、以前からMA先生が「つくしに載せないか」という話があってほとんどウソかホントかと疑いつつ考えているうちに自分と同じクラスで、アダ名は「タコ・社長。」つくしのほこるべき編集長をやっているYOに「ホントにいいのか、きたない字で。」といいつつ聞いた所、気前がよく「いいよ。」と返事が帰ってきたのでうれしくペンを取ることにしました。  最初にどんなことかこうかなぁとまよっているうちにタイトルも、本の題名にあわせてみようというこにして、「つくし。」としました。  自分としては、このように名物である大事な二頁をいただくことができて、本当にうれしく誠に、御礼申し上げる次第です。  これからも「つくし」の発展をいのっています。  どんどんおもしろいことを、手書きで続けて下さい。       お願い   このつくしには、多くの人の手がかかっています。なので、 気もちよく読んであげて下さい。 この話についての感想を著者によせて下さい。