引用箇所は赤太字、下線部分

1989年5月20日(土)「赤旗」
追跡女子高生監禁殺害事件 《1》
甘かった親の認識=@魔の40日間

 東京・足立区内の少年たちが一人の女子高生のかけがえのない生命を無残にも奪っ
た事件で、東京家庭裁判所は、主犯格の少年A(一八)、同B(一七)、同C(一六)、同D(一七)
の四人を刑事処分相当として東京地検に送致しました。事件は、両親が階下に住むC
の自宅で引き起こされました。親は一体何をしていたのか≠ニ社会的責任を問う声
とともに、事件当時Cの両親が日本共産党員だったことから、なぜ、このような事
件が≠ニの強い疑問が寄せられています。共働き、母子家庭などで子育ての困難に胸
を痛めている人々の中には、事件を特別な思いで受け止めた人も少なくありません。
もちろん学校教育の問題、暴力団とのかかわりを含めた社会的問題を指摘する声も強
くあります。 これらの疑問や声をもとに、取材班は事件の真相を追究してきました。
残念ながら現在、Cの両親は直接取材できない状況にあります。限定された範囲です
が、中間報告としてリポートします。

 埼玉県三郷市の女子高生Eさん(一八)がアルバイトを終えての帰宅途中、少年た
ちに襲われたのは昨年十一月二十五日の夜でした。足立区内のC宅の二階に連れ
込まれ、一月四日に殺されるまで監禁は四十日間におよびました。
 C宅は、父親(四八)、母親(四二)、兄(一七)との四人暮らし。兄も犯行に一部かかわ
ったとして東京地検に書類送検されています。同じ屋根の下で暮らしていて、両
親はなぜ犯行に気づかなかったのか。この点に疑問の多くが集まっています。

 EさんをC宅に連れてきた少年たちは当初、「お前はヤクザに狙われているか
らかくまってやる」などと言葉巧みにいいくるめていました。

  自宅に数回電話
   した女子高生

 Eさんはその間、自宅に数回電話しています。C宅からだけでなく、外の公衆
電話からかけたこともありました。「誘拐されたわけではないので心配しない
で」という内容。少年たちに脅かされてのことでしたが外見的には「自発的」とも
見える状況でした。

 Cの両親は女の子が二階の部屋にいることに気づかなかったわけではありませ
ん。一度はEさんを階下に連れ出しています。十二月十日ごろでした。Eさんと
Cらに食事をさせ、Eさんを帰宅させるために外に送り出しもしています。Eさん
が「一人で帰れる」というので自宅まで送ることをしなかったといいます。
 監禁されていたというよりCらの非行グループの仲間の女の子というのが両親
の認識だったようです。この甘さが事件を防ぐ決定的チャンスを逃がしました。
 実際Eさんは、このとき自宅に帰ることなく少年たちに連れ戻されました。し
かも、この日以後、少年らは親に気づかれないようにしながら、それまで以上の
残虐な暴力をふるい、許すことのできない結末へと突き進んでいきました。
 当時の両親に女の子が監禁されているとの認識はなかったとしても、少なくと
も不審は感じ取っていたはずです。秋以降、ひんぱんに出入りするAら。近所か
ら寄せられる騒音の苦情。

  非行の芽つみとる
  具体的処置なく

 非行グループのたまり場となっていることを知りながら、非行の芽を摘み取る
具体的処置は取れませんでした。女の子や他の子の親とも連絡をとり、親同士で
対処する努力が必要でした。この時期、一切を母親まかせにしていた父親の責
任も厳しく問われます。
 許せぬことには、一歩も引かず、きぜんとし立ち向かう親の姿勢があれば、最
悪の結末だけは避けられたはずでした。
 Cの両親は事件後、弁護士を通じて「被害者の両親にはおわびのしようがな
く、償いようがありません。深く反省しています。…賠償金などで済むような
ことではありませんが、事件の現場となった家と土地を売って、裸になってでも
やっていく覚悟です」と語り、眠れぬ夜を過ごしているといいます。魔の四十日
間への認識、対応の甘さが招いた結果はあまりにも重大でした。   (つづく)