共産党は事件の要因を学校教育と社会環境に強く求めている。
 学校教育に関してはいきすぎた体罰。管理教育を厳しく批判。

 学校教育の問題を問われると、ないとは言いかねるが、共産党の言うことは無茶苦茶である。そもそも、暗にC弟の
中学時代における退部騒動の顛末を、事件の遠因かのように捉えているが、この時期にこの学校で大きな事件を起
こしたのはC兄弟だけでである。
 1989年5月7日(水)「赤旗日曜版」 1989年5月24日(水)「赤旗」 追跡女子高生監禁殺害事件 《5》  
において、綾瀬母子絞殺事件引き合いに出しているが、この事件は後に冤罪が確定している。
 2件の事件を偶然としてはありえないとし、学校特有の固有問題と強引に決めつけ、原因として道徳教育の研究奨励
校、推進校であったことを取り上げ、教師の体罰やきびしい校則など管理教育が事件の原因であるように学校に責任を
押し付けている。
1989年5月14日(水)「赤旗日曜版」の内容など、議論の根拠に大きな誤りがあるし、都合の良い所だけ
を寄せ集め、一般人のふりをした党員を潜り込ませて発言させたらどうとで作れる記事である。

 あ え て 
も う 一 度 言 う 

 当時この中学校絡みで発生した大きな事件は、綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人事件だけである。並行して
綾瀬母子
絞殺事件
も大きな問題になったが、後に冤罪が確定している。

 1989年5月24日(水)「赤旗」追跡女子高生監禁殺害事件 《5》紙上において、80年初頭、学校の方針を管理教育と、
共産党が主張する【生徒が主人公となり、生きいきと輝ける学校を目指そうとする教育】に強引に分け、管理教育を徹底的
に批判しているが、そもそも【生徒が主人公となり、生きいきと輝ける学校を目指そうとする教育】などというのは理論にも満
たない理想論でしかすぎず、現に多くの共産党党員教師がいたにもかかわらず、四半世紀の時を経ても、画餅の域を脱して
いない。

 管理教育のなにが悪いのだろうか。学年別に分けるのも管理ならばクラス分けするのも管理である。時間割を作るのも成
績をつけるのも管理である。そもそも学校は生徒を管理しなければ成り立たない。問題はいきすぎた管理、度が過ぎた規則
だろう。80年代初頭の、学校が荒れた時代の管理教育は、生徒の自主性より規律を優先させる教育手段で、あるからこそ
それなりの成果を収めてきた。教育手法は完成されたものでなく、その時代その時代の新しいを取り込んで理論試行錯誤の
結果、運用されているものである。共産党の掲げる【生徒が主人公となり、生きいきと輝ける学校を目指そうとする教育】など
というのはあくまで理想であり、教育現場に反映させて、ものになるかどうか判断できるのは、それこそ何年も先の話である。
 赤旗6月1日号 読者の広場
 の投稿者として、埼玉県 新川 葉子氏(元教員 54歳)が共産党機関紙向けにしては珍しく、
まともなことを言っている。

 ところが、いつの時代であっても、子育ては"まねごと"ではできないのです。新しい子育ての理論が真に生きて使える
ようになるためには、まだまだ時間がかかります。教育実践でも、理論が日常に生きて使えるようになるまでには十年は
かかります。
 ですから、最新の子育て論は、すぐに使えるというようには考えないで、まずは自分が育てられたように育てることを
基本にしながら、新しい理論を少しずつ組み込むようにするといいようです。

 管理教育にも大きな問題がある。生徒個々の個性を押し殺し、画一化された人間を生産していってしまう。
 問題があるからといって、この綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人事件が起こったというのは、あまりにも理論的に飛躍している。
 
 この事件がここまで凄惨なものになったのは、C家という、犯人たちに都合の良い監禁場所があったからである。
 自分たちの子どもが荒れに荒れ、不良仲間を二階の自分たちの部屋に引き入れ、好き勝手しているにもかかわらず、何ら解決
策も講じずに、共産党の党活動だけはマメにこなしていた、愚かな党員夫婦がいたからである。





1989年4月30日(水)「赤旗日曜版」
 A 少年や親の責任はもちろんあるが、 現代の社会病理として見つめる目も大
事だと思う。




 C 学校の方はどうか。高校中退の要因の一つに部活や学校の管理教育もあっ     
たのではないか。
 A 少年Cは、中学でバスケット部に入学したが、負けたといっては殴るなど
の顧問教諭の指導方針に反発。少年とともに一年生部員の多く が退部し たとい
う。別の運動部を希望したが認められなかった。その点で、もっと対応の仕方は
なかったものか。ということがいえる。
 D リーダー格の少年Aの場合はもっと直接的だ。中学時代から柔道部の選手
で、都内の私立学校に推薦入学し、柔道部に 入った。 しかし、 上級生の " し
ごき"があって、 耐え切れずに退学している>




子どもの教育の問題、社会問題をまじめに考えず



B また"いじめ"や"体罰"についても、いっさいの暴力を認めない。こ
の原則を前提にし、子どもの人権侵害や暴力にはき然と対処する。これは教師で
あれ、親であれ必要なことだと思うね。党は学校、教師、父母、地域の力を集め
て根を根絶するために努力しようと訴えてきた。



 A だいたい、体罰がなくならず、子どもをしめつけたり選別する教育にして
も、歴代の自民党政府の反動的な教育政策のせいだ。さらに、学校教育だけではな
く、子どもに説明がつかないような政治の腐敗、いつになってもなくならない暴
力団の横行などなど、自民党政治のもとでつくりだされている現在の社会が教育
の力を失っていることが、こういう事件の根底にはある。


1989年5月7日(水)「赤旗日曜版」

 女子高生監禁殺人事件とその後に起きた母子殺人事件にかかわった少年たち
は、同じ中学校の出身でした。これは偶然としてすまされない。その学校の固有
の問題があったのではないかと思います。
 この学校はかって道徳教育の研究奨励校、推進校だったとききます。教師の体
罰が横行し、きびしい校則など管理教育だったようです。
 一般的な傾向としていじめがやや下火になったあとに登校拒否の増加がいわれ
だしたころ、足立区内にそれまでとちがうタイプの登校拒否=「不登校」があら
われました。
 「不登校」、つまり管理をきびしくして、校則違反をする非行生徒を校門でお
いはらうわけです。この学校がそのような学校だったときいています。登校拒否
が一校で数十人となれば大問題です。そうした生徒がグループ化していくのは目
にみえていたはずです。


1989年5月14日(水)「赤旗日曜版」

 先日、事件に関係のある少年たちが卒業したA中学校で、全校保護者会がひら
かれました。父母や地域の人たち約六百人が集まりました。家庭、学校、地域の
問題など参加者は予定を超え二時間半、熱心に話し合いました。
 集会に参加した母親(四〇)はいいます。

 「ことし上の娘を卒業させ、下の娘を入学させましたが、上の子のときは、前
髪はまゆに触れない、後ろはえりにつかない、とか、とにかくばかばかしいほどの
服装チェックでした。でも、ここ二年ほどはそんなにきびしくないし、体罰の
話もあまり聞かなくなりました」
 A中学校では、二年ほど前まで体罰が日常的にやられていました。
 A中学校区の主婦(五六)はこんどの事件は「おこるべくしておきた」と思ったと
いいます。
 八年前、中学校に通う息子が登校拒否になった体験があるからです。息子の登
校拒否の原因は、かばんを
つぶして登校した一年生が職員室で担任の教師たちからなぐられているのを見
たからでした。ほかの先生は見て見ぬふりでした。「なんで止めないのだろう」と
ショックを受けたのです。
 その子も含めて大勢が、英語ができないからとなぐられ、試験の点数が悪いと
いってなぐられました。
 全校集会で校長はよく生徒たちをおどしていました。
 「何か悪いことをしたら、この学校に置いておかない。すぐ少年院に送って
やる」
 そのせいか、七、八年前、足立区内の中学校で校内暴力が荒れ狂っていた時
期でも、この中学校は、授業は静か、廊下はピカピカ、生徒は礼儀正しく、校
内暴力とは無縁でした。

 当時のA中学校を知る教師は言います。
 「とにかく集会でも、授業でも私語がないんです。一見していいように見える
けれども、自主性がなくて、先のことを考えると、怖いぐらいでした。早く中
学校を卒業したいという生徒が大勢いました」
 中学校区はちがいますが、同じ足立区にすむ自営業、Oさん(五六)はいいま
す。
 「ああ、やっぱりと思いました」
 Oさんの息子は六年前、足立区の別の中学校の一年生のとき教師の理由のな
い暴力で、片手を複雑骨折し、茶わんを持てないという障害が残りました。
 そのときの校長が女子高生監禁殺人事件をおこした少年たちが在学中のA中学
の校長だったからです。
 当時Oさんの息子の通っていた中学は、管理教育が徹底してやられ、体罰が横
行していました。
 しかし、校長は、同区教委に体罰を隠していました。Oさんの二年あまりの
運動でやっと体罰があったことを認め、校長たちは、戒告処分を受けた経過があ
ります。
 ところで、A中学校は、いわゆる”名門校”といわれています。歴代の校長
は、同区の校長会の会長になっています。また、管理職の登竜門のようになって
いて、教頭試験をうける教師も多いし、校長や教頭になって転任していく教師も
多くいました。

 一九八五年と八六年には生徒指導のモデル校に指定されていました。それでい
て体罰・暴力で生徒を抑えるという教育方針をとっていました。
 髪が長いからと、教師になぐられて鼻血をだし、真っ白なブラウスを真っ赤に
して帰った女子生徒とか、鼓膜を破られたとか、体罰はあとをたたなかったとあ
る母親は証言しています。
 その抑えつけられた憎しみからか、卒業時期になると、毎日のように校舎の窓
ガラスが割られたり、荒らされたり、ぼや騒ぎが起きたりしていました。
 今回おきた事件はこうした学校の問題と同時に親の問題、子どもを食いものに
する暴力団など地域の問題もあります。

 東京都教職員組合足立支部は、この問題について次のように指摘します。
 「事件発生の背景としては、さまざまに入り組んだ複雑な要因があげられ短絡
的にいうことは危険です。
ただ、いえることは、学習指導要領による『おちこぼれ』の容認、受験地獄と偏
差値による輪切りなどにより、子どもたちのなかには、自分の将来に希望をもつこ
とができず、みずから学校へいくことを拒絶してしまうこともあります。さら
に、その傾向に拍車をかけるのがいきすぎた校則によるしめつけなど、管理主義
的な教育体制と体罰の横行です。一方、子どもたちをとりまく退廃的な文化、地
域、家庭環境の悪さも加わり、非行やいじめの土壌になっていることも否定でき
ません」
 先日のA中学校での全校保護者会では、学校を避難する発言もありました。し
かし、一年生の娘を持つ父親(四二)はいいました。
 「高校中退者は全国十一万人を超えているわけだし、いじめでも実態はさま
ざまで、学校の指導だけでなくなるものでもない。先生方と父母とが一緒になっ
てがんばっていきましょう」
 拍手がおこりました。
 教師たちは、地域の父母との集会で素直な声を聞くなど、学校再生への努力も
始まっています。
 そして親たちも「なんといっても、私たち親の責任は大きい」と−−。



1989年5月22日(月)「赤旗」
追跡女子高生監禁殺害事件 《3》

 自宅を監禁場所にした少年C(一六)は、スポーツ好きでした。中学校に入ると運
動クラブに熱中します。一年の終わりごろでした。この運動部を他の部員ととも
に集団で退部します。指導の教師がことあるごとに体罰をふるうことに嫌気がさ
してのことでした。Cらは他の運動部を希望しましたが、学校からは拒否されま
した。「一つの部がつとまらないで他の部でやれるはずがない」というのが理由
でした。母親らのあいだで学校への抗議が持ち上がりましたが、子どもたちがと
めたといいます。Cの両親も学校と話すことはしませんでした。




1989年5月22日(月)「赤旗」
追跡女子高生監禁殺害事件 《3》

 自宅を監禁場所にした少年C(一六)は、スポーツ好きでした。中学校に入ると運
動クラブに熱中します。一年の終わりごろでした。この運動部を他の部員ととも
に集団で退部します。指導の教師がことあるごとに体罰をふるうことに嫌気がさ
してのことでした。Cらは他の運動部を希望しましたが、学校からは拒否されま
した。「一つの部がつとまらないで他の部でやれるはずがない」というのが理由
でした。母親らのあいだで学校への抗議が持ち上がりましたが、子どもたちがと
めたといいます。Cの両親も学校と話すことはしませんでした。


1989年5月24日(水)「赤旗」
追跡女子高生監禁殺害事件 《5》

 犯人の少年たちは、いずれも東京・足立区内の同じ公立中学校の卒業生です。
 少年たちの荒廃の軌跡を取材していて、その中学校の抱えていた問題が浮かび
あがってきました。同校は、今回の事件のほかに、別のグループが同時期、在
学中に母子絞殺事件 を引き起こしており、これまでの教育を厳しく問い直す声が
起きています。
注・綾瀬母子殺人事件は無罪が確定しており、当時この学校絡みで発生した事件はこれだけである。


 八〇年代初め、全国的に校内暴力などのあらしが吹き荒れて以降、大きくいっ
て、学校の対応の仕方に二つの方向が現れました。
 一つは体罰を含む厳しい管理≠ナ生徒を押さえ込もうとする方向。もう一つ
は生徒が主人公となり、生きいきと輝ける学校を目指そうとする方向です。同校
は前者の典型的な学校でした。
 数年前まで同校には教師の体罰が横行していました。試験の成績が悪いと長
時間の正座を強いられる。私語が多いといっては殴られる。生徒の耳の鼓膜が破
られることも一度ならずありました。
 自室が女子高生監禁の現場となった少年C(一六)が、一年の終わり、所属してい
た運動部を集団で退部したのは、練習中のふざけや私語を理由に教師が体罰をふ
るうのに嫌気がさしてのことでした。
 Cが所属した部を指導していたのは若い教師でした。同校は新卒間もない職
場。周囲の教師は体罰を含む力≠ナ生徒を押さえ込む。「自分もそうできなけ
れば一人前に見られない、と夢中だった。いま思えば、もっと別のやり方も
あった…」。その教師は、他の学校へ転任する際、そう語ったといいます。同校
の管理主義は、生徒だけではなく教師の成長をもゆがめていたのではないでしょう
か。
 同校は、八五、八六年度、文部省の生徒指導総合推進校に指定されていまし
た。東京都教育委員会などとの緊密な連携のもとで、全校的に体制もとり、生徒
指導にとりくみました。二年間の実践を経て文部省に提出された研究成果報告書
には、「二年間で荒れ≠ェおさまり、落ち着きをとりもどしてきた」旨の報告
がありました。

  しかし、まさにその二年間に、二つの殺人事件に関与した少年らが在校しても
いました。学校が、「落ち着いた」という一方で、子どもの素顔≠ェ見えなく
なってはいなかったか。今回の事件は、生徒指導のあり方の根本からの問い直し
を求めています。
 同校は、この一、二年、体罰をなくし、不登校の子どもをなくすことを柱に、
いわば教育の再生≠ヨの道を歩み始めようとしていました。その矢先に、今回
の事件が起きました。
 東京都教職員組合の足立支部は、来月十四日、「今、子どもの危機を考える」と
のシンポジウムを計画しています。教師、父母、弁護士や教育学者…。子どもを
健やかに育てたいと願うすべての人の知恵と力を集めようと。
 在校生の母親の一人は「あまりにも大きな犠牲をうんでしまいました。命の
大事さ、他人の痛みのわかる子どもを育てられる学校に、地域に、生まれ変わら
なくては、殺された方々が浮かばれません…」と言葉をつまらせました。  (つづく
)